平成29年1月1日

新年ご挨拶

世界救世教
教主 岡田 陽一

本年も、主神の大いなる愛と赦しの中で、輝かしい年の始めを迎えることが できましたことに感謝し、世界中の信徒の皆様と共に、主神と、主神と共にお られる明主様に、謹んで新年のご挨拶をさせていただきます。

新年あけましておめでとうございます。

さて、誠に畏れ多きことながら、私ども一人ひとりの中には、すべての源な る意識が存在いたします。

この意識は、唯一の神であられる創造主の永遠の命の意識であります。

この意識は、私どもの中に、そして、すべてのものの中に充ち満ちており、 この意識によらない存在は、存在し得ないのであります。

明主様は、この意識のことを主神とお呼びになりました。 主神の創造のみ旨は、ご自身の子をお生みになることであります。 そのために、私どもの中におられる主神は、すべての創造をお始めになる前

に、まず、ご自身の天国を用意され、その天国において、万物の霊と共に、人 間となるべき霊、すなわち、ご自身の分霊(わけみたま)を、予めお生みになりまし た。

この時、主神によってすべての分霊に刻み込まれた名前がメシヤである、と 私は信じております。

主神は、ご自身の天国を通して万物を創造されるとともに、万物をお使いに なって、私ども分霊を個々別々の自我意識を持つ人間として創造されました。

主神が個々別々の自我意識を持つ人間を創造されたのは、万物と一体である 私ども一人ひとりを再び天国に迎え入れ、主神のみ業を継承し、主神に仕える 者、すなわち、主神ご自身の子・メシヤとして新しく生まれさせるためです。

しかも、私どもの中におられる主神は、ご自身の創造のみ業をすでに天国に おいて成し遂げておられるのです。

しかしながら、私どもは、主神が私どもの中におられるにも拘らず、主神を ないがしろにし、主神の意識を自分の意識とし、その意識を自分の都合のよい 善悪の尺度として使っておりました。

そうした私どもを主神は赦してくださいました。

なぜならば、主神は、私どもをご自身の子・メシヤとするという愛のうちに、 私どもを赦されたもの、救われたものとしてくださったからです。

私どもの中には、主神の愛があるのです。赦しがあるのです。メシヤという 御名が刻み込まれているのです。

そして、私どもは今、主神の子として新しく生まれるために養い育てられて いるのです。

ですから、私どもは、メシヤの御名があればこそ、赦され、救われたものと されていることを思い出し、悔い改め、心を開いて自らのうちに刻まれている メシヤの御名を、改めてお受けさせていただかなければならないと思います。

このように、メシヤという御名は、主神にとって大切な御名だからこそ、私 どもにとって大切な御名なのです。

明主様は、昭和十(一九三五)年のご立教以来、「観世音菩薩(観音)」を始 め、「弥勒(五六七、日月地、ミロク)」、あるいは、「伊都能売(いづのめ)」等 の御名と共に、「メシヤ」という御名を大切にしてこられました。

そして、幾多の変遷と推移を経て、明主様が昭和二十五年二月四日に「開教」 された教団の名称は、「世界救世(メシヤ)教」であります。

この頃、ご発表になられたお歌に

「抜きも差しもならぬ此世(このよ)にメシヤ教出でずば未来は如何になるらむ」 というお歌があります。

そして、明主様がご自身の「明主」というのお名前について、「明主の言霊は、 メシヤと五十歩、百歩だから、あるいはメシヤの名前になるかも知れないとも 想っている」とお述べになり、私ども信徒が「明主様」とお呼び申し上げるの もこの頃からです。

また、同じ頃、明主様は、当初お作りになった『善言讃詞』の冒頭の「世尊 観世音菩薩此土に天降らせ給ひ光明如来と現じ 応身弥勒と化し」のあと、「救 世主(メシヤ)とならせ」と書き加えられ、最後の御名を「メシヤ」とされま した。

「メシヤ」と題する一連のお歌もお詠みになりました。
例えば、 […]